第二天洋丸の就職船と夢希望

湯島太郎

2014年01月24日 16:13


松尾嘉典先輩は 市川市の塩焼に
住まれて居て 湯島の昭和17年くらいの生まれではと
思っています。
上の写真を送っていただき 感謝いたしております。 
昭和も30年代の後半で 現在のに荷揚げ場も
まだ 造成されておらず 
二階建ての 苓北から 三角航路の
苓州丸の艤装船で  第二天洋丸ではなかったかと
思っています。
懐かしく 眺めています。
時は もっぱら 集団就職 酣で
この船で 本土三角へ渡り 各就職地ヘ
集団就職で 飛び散っていった同僚 先輩達を思うと
居た堪れないが 当時は 身近な貧困窮からの
脱出であったり やがては 現実に気がつくも
懐いて消えない 壮大な夢ロマンであったり
今に至っては 死語にもなってしまったが
差し当たっては 働き学ぶ 苦学に 夢を見たり
死ぬほどに働き 給金を得ては 仕送りで
親御の 喜ぶ顔を 夢見たりで
故郷を去り捨てる 悲しさの裏側には
日頃 表現も出来ない 環境に 置かれながらも
実に人間的で 実にあたりまえな
ホットな 夢心を懐いて この船で島を出て行ったんだ。


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