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湯島太郎
湯島太郎
昭和22年生まれ・熊本・上天草湯島に
巣立つ 質実剛健を 養父に学び
それを信条とする。
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Posted by おてもやん at

2015年12月01日

晩秋の早崎の瀬戸の黄昏



何を言っても 何を表現しても この美しさと
覚めて 透き通るような 夕暮れは 
最早 何にものにも たとえられぬ世界感である。
島おこしだ 都会なみの生活だ と
望む方が おかしくもなる。
このロケイション以外に 求めるものはありそううもない。
湯島ブルーの 秋空に 散りばめられた鱗雲と 一緒に
やがて 太陽が惜しみながら 早崎の瀬戸に消えいる。 
瞬時の黄昏時であろう。


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Posted by 湯島太郎 at 05:53Comments(0)湯島風景

2015年10月07日

湯島の神様・伝兵衛さん300年碑除幕

湯島の神様・伝兵衛さん300年碑除幕/

2015年10月4日・17:55

上天草市の湯島で島神としてあがめられていた
横田伝兵衛の没後300年祭が行われました。
除幕式には、伝兵衛の功績を伝えようという島の有志で設立した顕彰会のメンバーや
伝兵衛の故郷・雲仙市吾妻町から子孫たちが出席しました。
顕彰会によりますと横田伝兵衛は、江戸時代の吾妻町の農家の組頭で
重税に苦しむ農民の 税率軽減を求めて藩主に 直訴し湯島に流されました。
その後、湯島を開墾し島人の生活指導にあたるなど亡くなった後も
島神として祀られていたということです。
顕彰会のメンバーは、
「湯島の歴史の一幕として伝兵衛の精神を後世に伝えるととともに
吾妻町との交流につながれば」と話していました。 (Rkkニュースより)
  


Posted by 湯島太郎 at 09:27Comments(0)昔・歴史

2015年10月02日

①湯島開墾の祖神・横田伝兵衛の件(くだり)

下をクリックして下さい。伝兵衛さんの諸々のことがわかります・
湯島の島神、横田伝兵衛さん伝説を未来へ伝えたい

”湯島の地名に 名を残された
    農地・農業・漁業・開拓・指導の島神様”

肥前・島原藩主松平忠房
三河刈谷藩主を経て丹波福知山藩主から
島原の乱後 30年(1669~1735)寛文9年に 
移入封され 45.900石の藩主で 文学・歴史・兵法・
貴重本収集・源忠房文庫等を設け
文化人でも あったと言う。



現在の吾妻町大木場名横田地区

横田地区・倉子墓地に 湯島から分骨された
現在・伝兵衛さんから八代目になる 
横田克久さんが守る お墓から横田地区を見る。


1・横田伝兵衛の直訴
島原領守山村(現・雲仙市 吾妻町大木場名)
大木場名に横田伝兵衛という 組頭の農民がいた
貞享年間(1684~87)の時
農民への課税基準に 田畑の等級を定めた。
当時の農地は 上々から四下まで
11級に別れていた。
大木場名は山林が多く 土地はやせていて
東の田之平名とは 差があった。
しかし 藩は等級を同率とした。
このようなやり方では 未来永久に
大木場の 農民は重税で苦しむことになる。
伝兵衛は なんとかこれを
改めもらいたいと決意 庄屋を訪ねた。
庄屋は 伝兵衛の申し出を 理解はしたが.
すでに 徴税法は決定してるし
直訴は 死罪覚悟ということで 制止した。

伝兵衛は若い頃から 土を口に含んで
味で 土の良し悪しを判別する
才能をもっていた。
上等の土は 甘みがあり
悪い土は 荒く苦い。
土壌の状態は 収穫に影響を及ぼす。
大木場の土地が 田之平土より 悪いのは.
収穫の上からも明らかだ。
田畑の等級をなんとか
改正してもらわねばならない。
伝兵衛は ついに死を覚悟で藩に直訴した。

「大木場と田之平の農土には2等の差があり.
私は 口に含んで味で調べて解ります。
同じような税率を定めますと.大木場の農民は
不平等の税金によって 長く苦しみます」
と。
藩の家老が訴えた内容を聞き.
両方の土を取りに行かせ. 更に入れ
伝兵衛に 目隠しをさせて 舐めさせた。
伝兵衛はみごとに判別した。
このことを聞いた 藩主・松平忠房は
伝兵衛の訴えを取り上げて. 郡奉行に命じて
大木場の農地の等級を改めさせた。
そして 伝兵衛の訴えのもつ意味を考え
直訴の 死罪を免じて 妻子ともども.

藩内ではあったが 湯島ヘ流刑にした。
湯島で伝兵衛一家は 開墾に 精を出し.
やがて 村の生活秩序を 指導したりして
信頼されたが 島生活30年間も経った
1715(正徳5)年 病で没した。
島の人々は 遺徳をたたえて祠を建てて.
島神様として祭祀した。

(宮崎先生発見資料 
「長崎県の歴史散歩」より 山川出版社)


伝兵衛さんから数えて 
六代目が建立されたお墓

横田伝兵衛さんの 説明書きが
木製に紙書きで 濡れないようにはしてあるが
すでに 風化していて 多少見えない部分が多い
湯島の現島民と ともに 開墾・指導にあたられた
祖神に 恩恵の意味も込めて
現島民出身者で ホーロー仕上げの説明板でも
寄贈してはと 思うところだ。


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Posted by 湯島太郎 at 09:14Comments(1)昔・歴史

2015年10月02日

③湯島開墾祖神の”伝兵衛さん”の 謎の墓地墓標



伝兵衛さんの 墓の所在には
郷土歴史家達の 不可思議は消えない
自然石と言えども 墓碑に何らかの文字や 曼荼羅印が
あっても おかしくはない。
いやいや 流刑の身で その存在すら残すことを
許されなかったのではないか?
いやいや 伝兵衛さんから6代後の 横田家当主が
湯島に来島され 分骨され 現代の大木場の
納骨堂に残ると 言われるから 
伝兵衛さんが 死亡されたのが 1715年だから 
それから 一族の墓を 建立された6代目とは
1代 約30年で 30年×6代は 180年あととなる。
1715念から 180年後は 1895年で明治の中期である。
だとすれば 墓の存在は 比較的新しい時代の確認で
残っていた可能性は 大である。
折角の 歴史的発見である。
乏しい観光資源の 膨らみにも 
将又 島祖神様を 尊び 歴史的に存在して
その名も 地名に残す人である
他の 登録地名の”汐佐屋”(ソザヤ)・”番外”(バンギャ)等の地名も
残されたのではと そんな気もしてくる。
必ず 探しだす義務が ありそうな気がしてくる。

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Posted by 湯島太郎 at 06:10Comments(0)昔・歴史

2015年08月14日

湯島の島おこし・”朝市”

熱中真っ盛りの朝市でも 海風が 瀬戸やの隙間風になり 
涼々と 吹き抜ける湯島の朝は
心地よく 一番船で乗り付けて 地物に有リ付けんとする
渡船客と 島民が 入り混じって 
”やしゃもん” ”いお” ”ガゼ” 
それに ”幻”ずくめの 島大根混じって 
島クロニンニン(黒にんにく)
兎に角 出来もよく 試食してみたが この老体を
揺さぶり上げる程の スタミナ源を 感じたから 
間違いはない
今後 島の若衆達(30才~60うん歳まで)は 定期的に
開催すると言う。
頼もしい その内に到来する 
島も住民も 揺り動かすような 
経済効果を 願ってやまない。
努力に勝る 天才はあらず である。青年たちよ。





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Posted by 湯島太郎 at 13:52Comments(0)近状報告

2015年07月27日

足らずの老いた ”不良初老人”である。

どうにか 少しは体の調子も 取り戻しつつある。
不思議なもので 身体の調子が 良くなってくると
意地悪な 世間批評の一つも 綴って見たくもなる。
この世に 立派で完全な 事も物も 長く 存在出来る訳もなく
いつの時代でも 途切れ ちぎれ ぼろぼろになりながらも
何とか 時代時代で 時々で 繕いながら
生きても行く 思いも 心も 完全な物に近くなるところを
望んでは 手探りでも 歩いている。
70歳も近くなって 言えたことでもないが
人の命なんて 全てを 修得出来るまでの 時間帯が短く
今でも あれだ これだと 心焦っては
未だに 得られない 未熟さに悲しいばかりで
時間の足りなさに 悩むのである。
少しは 壮年を過ぎ 老いて 余年の時期でもあるんだが
青年にも 少年にも 近い悩みは 老いても消えない。
何とも 足らずの70歳である。


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Posted by 湯島太郎 at 09:26Comments(0)社会悪

2015年07月21日

2014年12月15日

政治と汚職と国母と国父とフロンティア



不名誉な事ではあるが
上天草市長に絡む 汚職の問題で町長が退官した。
いつの時代でも 首長には 誘惑も多く
己自身を 律する力も 必要で
やっぱり 何処まで行っても 
古いようだが 正義であり続けなければいけない。
市長も 人の子だからと 安易な心が
失態も招く やっぱり 人の子は 人の子だが
人の親であるべきことも 忘れてはいけない。
朝鮮王朝時代劇の 見過ぎではないが
国母であり 国父であり
市民の親であり続けるには ”正義”以外にない。
こんな市民の 数も少ない所でも
やっぱり 市民であり 政治参加者である。
新しい時代は 少人数でも 切り開ける。
今や 時代のフロンテイ・スピリットは 手中にある。

下記をクリックして下さい
「(合)天草酒造」・・・・①
「(合)天草酒造」・・・・②

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Posted by 湯島太郎 at 06:09Comments(0)湯島世相

2014年12月09日

湯島・峰(みの)カンチョで・銘酒・・・・・・焼酎を



2週間くらい前になるか
島おこしの 有志と 食事の機会を得た
湯島の 峰カンチョを
天草唯一の 酒造元 
(合)天草酒造の 協力を得て すでに酒造
瓶・貯蔵に入ったいう。
来年の 2月にはお目見えするが
本来であれば それから熟成するには
約 5カ月を有するという。
名前の 候補の数は多いが 
先ずは 酒造元へお願いしてから
湯島・談合島・四朗酒・伝兵衛ドン・湯島灘
瀬崎・右近酒・白洲・カンチョ酒 etc・・・等々
数限りないが 我と思わん者は
酒造元へ 感謝のお便りとお願いと共に
焼酎の 名前も お願いされては思うが

下記をクリックして下さい
「(合)天草酒造」・・・・①
「(合)天草酒造」・・・・②

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Posted by 湯島太郎 at 11:58Comments(0)近状報告

2014年12月06日

政令都市・熊本市長誕生・しかし浮かれていては?


真面目で 実直な青年は 
必死に 駆け上がり 辿り付いたが 
その先は 広がる闇で どろどろの世界は
似合わない現市長には 大変なことだ。
しかし 希望だけを期待して お追い求める
先代大西議員の 故郷は
その想いの 重なりに酔う。 
熊本生まれの 熊本巣立ちで 市内人でも
天草の 血筋流れる おらが故郷出身の 
熊本市長様誕生に 湧き立つ
政令指定都市・熊本市は
熊本県の中の 天領の地みたいなもんで
幕府(政府)直轄の 予算等々が独立している。
郡部の市町村の 兄貴分みたいなもんで
その動向 一挙手一投足に 期待や
羨望の的になる。
ここまで 辿り着いたんだ 何があっても
失敗は許されない 大問題の数々が
決断を迫る 
しかし 一族郎党を総動員しても
良きにつけ 悪しきにつけ 
浮かれ孤独に させるつもりはない
老いたこの身を 張ってでも 逸脱も許さない
もって 生まれた運と 
伝来の家系から 生まれた運命は
ドロドロの習慣を 振り払い 受けつけない
素直さと 頑固な 頑張りは 
いい時代の到来を 予感する。
共に いい夢を 見続けたいから・・・・・・・・・・

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Posted by 湯島太郎 at 06:25Comments(0)政治と同胞

2014年11月30日

第ニ弾*人生慰労会と見果てぬ夢







わが身も 省みず おじさんも おばさんも
私が 島の中学を終えた頃は 青年か
若大人か 夫婦にしても 新婚さんの
仕事に 追われながらの生活であった。
島を出る時 とんでもない 夢を抱いていた。
自分だけ 銭儲けしても 島を裕福には出来まい
政治家か 仕事持ちの 社長ドンに成って
島に 持ちかえった仕事で
島全体を 従業員に抱え ちょっと 高めの給金で
全体を潤し 果ては娯楽施設 
対外からの観光客の誘致 宿泊施設の充実等々 
見果てぬ 妄想にも 近い夢が
胸を 飛びだしそうな希を
失礼な話だが 島民の幸せ感なんか
胸中にはなく 金があれば 金があればと
呪文のように唱えては 焦りに 焦った十代であった。
しかし そんなに 現実離れなんかしてはいないと
思い直しては やがて 薄っすらと
見果てぬ夢だと 悟りの入口に 差し掛かった頃
完全には 覚めきれぬ夢に 翻弄されながら
少年から 青年・大人・壮年・老い人と
島を出てから 50数年も経ってしまったが
実には それを心中に火種のように燈し残しながら
己を燃した結末には 恥じらいも
だいそれた夢だ等と 悔みも 反省も悔恨もあらずである。

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Posted by 湯島太郎 at 10:09Comments(0)湯島世相

2014年11月25日

第一弾*人生慰労会と島の営み

老人の日の 若者?(定年60才以上・余暇労隊)達の
老いた先輩達への ”肥後にわか”
プレゼントであった。






失礼ではあるが 
写真で窺う度に 汐風の影響か?
年輪の皺が 日毎に多くなっていくようで
何だか 自分を 若く思う私には?
おっかさんや おとっつあんに見える。
時代が変わっても そう大きくも 変わらず
淡々と 生活の営みを 時代にじわっと
合わせながらの 生活であったろう。
「もう 楽(ラク)して よかばな~ァ
 なんの そがん時代の
 え~っと ウ(大)~変わりするかなァ
 つったんがって ウ(大)ごつせんてよか
    なるごつしきゃならん 世界ばなァ。」

変えようとする 世界もあれば
変わらなくてもいい 充分だと思う世界もある。
幸せであれば それでいい。

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Posted by 湯島太郎 at 10:28Comments(0)湯島世相

2014年11月25日

高倉健さんの死と養父の生きざまを想う



一日中 もの悲しくて 涙がでた。
世の中に 15・16才で ほうり出されては
勝手に 生きて行けはないだろうにと
後になって 思ったんだが 
当時は考える暇もなく 実情は当り前のように
受けとめて 裏都会の片隅で 
這いつくばって 生きた。
その頃は 健さんは 憧れのバイブルで
作られた映像と 知りながらも
時折見せる 実像の人間性に 昭和の親父を見た
ヤクザが 良かった分けでも 
好きでもなかったが 必死にアウトローの世界で
正義を貫く姿に 憧れ かくあるべきだと思った。
私には 控えめに生きる 
武士道の世界にも 思えて 格好の良さに憧れた。
養父が 生きていた頃
その世界が 美化されるのが 嫌いらしく
「所詮 やくざは やくざで
         世間に 負けた者の
    表で生きれない 裏者ん何だから・・・・・」と
冷やかな 話だったが
当時の私には そうとも 思えなかった。
それに 命を張る とか 喧嘩とか 
刺し勝負とか 何時でも 誰にでも 
必死に 生きる為には 誰にも出来る事で 
別にやくざの 世界だけではないと
漁師の養父は 言い切っていた。
裸の 差しの勝負は 漁師も やくざも 誰でも同じで
怖いが 大切な 守るものがあれば
やっぱり 人は体を張るもんだ 
又 張らなくてはといかんと 単純だが私を言い諭した。
しかし その時は頭の中を 真っ白くして
恐れを無くして 体のままに 動くことだ。
勝負に 冷静になんてありえない 
生きるか 死ぬかは 真っ白な世界で 
それ以上も 以下も 無い世界だ。
私には 時に 養父48才にして 
舵棒一本で 船の甲板で ヤクザ仲買達を 
震え上がらせた 勇壮の記憶があった。
当時の もはや 廃れ掛けての 三文映画館で
三本立て オールナイトの 映画を見ては
一瞬でも ひと時でも 健さんに成れた事を想いだす
私が 身を捨てて守るべきものも  昭和も 
その昭和のバイブルも 終わった様な気がする。

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Posted by 湯島太郎 at 03:17Comments(0)家族・歴史・世相

2014年11月21日

熊本市長・大西一史ヘの想い



そうじゃないんだこうなんだ。と
言えば 短期で 怒りっぽい私は 都合よく
軽く あしらわれる。 ソフトな対応は
私みたいな 乱暴な大人の扱いに慣れている。
政界に 入り立ての頃からの 
見つめてきた私には 当選するたびに
自分が 天下を取ったような 気分にして
本人を 困らせるが しばらくは その気分を
あじあわせて 欲しい
もう 何処でも 誰にも 遠慮しなくていい
熊本市長何だから・・・・・・・
頑張れ 大西市長・・・・・・・・・・・・・・


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Posted by 湯島太郎 at 06:26Comments(0)政治と同胞

2014年11月02日

昭和22年生・平成26年・福岡同窓会模様・第四弾

みんな元気で 毎年でなくとも 参加出来る時に
集まればいいと 思ってはいるんだが
何処からか 声がかかれば行きたくてしようがない
時々 ”万難を排して”等とは こんな時なんだろうと
都合よく考えては 女房殿にも
残り少ない生涯を・・・等と 一席ぶっては
そそくさと 出かけてくる。
なんとはない 吐き捨てるような乱暴な言葉に
引かれて・・・・・・・

マイピクチャーにでも納めてください。

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Posted by 湯島太郎 at 16:59Comments(0)同窓S22

2014年10月31日

昭和22年生・平成26年・福岡同窓会模様・第三弾

結局 掃き捨てられるように
島を 出されたんだが
掃きだす方も 辛さが残り 
不甲斐無い自分を 責めたことだろう。
少なくとも 昭和の 戦後の親は
辛いとも 苦しいとも 悲しいとも言えず
黙々と 表現出来ない己への 悲しみに
耐え続けたのだろう。
それが 解放されて 
そんな事も あったんだと 笑えぬままに
大正・明治生まれの 昭和の親は
額に 皺寄せながら 黙りこくって
死んでいったんだ。

食らう 食らう ♪生まれた時が時が 悪いのか~♪
それとも俺が悪い~のか♪



ガタと和幸の かけ合いトークも
   老いては 冴えず だらだらトークになっては
      話題も古い。



喰らう 喰らう 喰らい続けて
成人病にならぬように



♪ナオミ・カンバック~♪だ。



サバの セゴ(西郷)ドンスピーチ
日本犬でも 引き連れていては どうよ~



敏男の くそ真面目トーク
この人には 冗句は 通じない。



年に 一度くらいは もてるさ・・・・くそ~
その年に 一度ももてないガタ・・・・



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Posted by 湯島太郎 at 04:35Comments(0)同窓S22

2014年10月30日

昭和22年生・平成26年・福岡同窓会模様・第二弾

人間の一生なんて たかがしれたもんで
どう足掻いて生きても 80年が精一杯で
運が悪けりゃ 幾年も持たず
運が良くても 精々70年で
宇宙規模でも 人の歴史的な規模でも
知れたもんだ。
その中に 欲張って 詰めこんだところで
生涯に やれることなんて
そんなに 多くもない。
興味津々学んだ期間も 20年くらいで
形振りかまわず 必死で
形を追い続けた 20年で
先が見えて 届きそうな希望を持て
必死に 努めたのが10年で 少しぐらいは 
自分の流れに事を 
乗せられたのが10年で
その後を 残り火を 吹きながら
とろ火で 焚きつづけるのが今で
呑気に 安楽な余生など望んではいないが
生涯現役等と 格好よく 吐き捨てても
所詮は 働かなければ 
食えない人生ではないか 俺の一生は・・・・

今年も 変世代集合?



タカのジェスチャー・スマイルスピーチ
これでも 肝臓の大部分を除去したんだ。元気元気。



ヤッチャンと敏男の 幸せ恵比寿大コンビ


飲んでも 人畜無害の キヨの
おっとり ゆったり 幸せ気分



女房どの以外の 女性を好まずのキヨが
幼なじみは 別だと都合のいいことを ぬかす



そのキヨが 鍋の向こうで
きっこに呟く 「こまかときゃ やっぱ 好きだった」と
笑うなきっこ 真剣なんだ



ここにも しずしじと
「オリヤ~ あんたに 惚れとったばい」と
    誰にでも 声えかける 和幸の口説き説法



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Posted by 湯島太郎 at 10:06Comments(0)同窓S22

2014年10月29日

昭和22年生・平成26年・福岡同窓会模様・第一弾

もう 何もいうまい
どんな時代でも どんな条件でも どんな時でも
誰となく 偲び寄っては 毎年何処かに より集まる 
何が良いのか? 何が楽しいのか? 
ただ 言いたいことを 言いながら 気勢を上げて
喰らいだ カラオケだと 
日一日を 繰り返し 気ままに楽しみ
果ては 夜の夜中に 温泉三昧 
社長も 役人も 居もしないが 学者も先生も
サラリーマンも 商売人もない。
ミッドナイト・ストリーは
不思議の世界に 毎年 繰り広げられる。
言いかえれば この不思議の 世代は 貧しくて
悲しくて 思いのままならず 時には 大人並みの
犠牲を背負わされて 走り続けて
故郷の絆等と 簡単には言えない
血の繋がり以上の 感情が 
毎年 烏合の衆よろしく 集まってくる。
よかばい
やっぱ 同級生ばい

もう 何ん~も 言わん よかごてせろい


今や 堂々に歴史を刻み テカテカと
    光輝く 哲ちゃんのヒストリーヘッド。



同類相憐れみ


五男と久美の老いらくのラブストリー?)


勝んもと 久美の複雑な心境


きっこ サバの人生相談


敬一と 梢の繰り返される往年のラブストリー


五男と みさえの横恋慕


トヨミと 孝行のおっとり構え


みさ子と サバの色気より食い気


このブログを 綴った前日が
みさえの旦那さんが亡くなられ お通夜出席でした。
ご冥福を・・・・・・・

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Posted by 湯島太郎 at 07:04Comments(0)同窓S22

2014年10月26日

②湯島開墾の祖神・横田伝兵衛と俗称・ジンベコバ(伝兵衛木場)の関係

"陣凹場”なのか ”甚兵衛古場”なのか 
     そいれとも ”伝兵衛木場”なのか? 
伝兵衛さんの デ(ジ)ンベコバは 地名に残る。


想像は尽きないが 灯台からその昔
大蛇が眠るといわれた 島の裏側ヘ下りて
そこから ”きたぶら”(北浦)・杉山・青年山まで
畑地が 広がる場所で 
ソザヤ(汐佐屋)から クエト(崩所) 
鵜の瀬の上近くまで広がる 畑盆地で
土地の地名は 地所登記までされてはないが
俗称 ”ジンベコバ”
どうやら 昔ながらの音変で
伝兵衛さんの 山木開墾の木場で
デンベイが ジンデイになり 
”デンベイ”(伝兵衛)木場から ジンベコバに 
成ったのだろうと 宮崎先生の説である。
言われて見ると 伝兵衛さんの 生まれ故郷は 
島原・吾妻町・大木場名(オオコバミョウ)の
横田地区で
どことなく 伝兵衛さんの故郷を 慕う気持ちを
思わずにはいられない。


伝兵衛さんの墓・(湯島ジンベコバ)の
その近辺に 確定出来る
謎めいて 島流しから 帰還を許されず
文字も 書き入れられない刑罰の時代に
島人たちの 感謝の意味の 供養塔(墓)が
現在も ジンベコバ近くに残り
海を隔て 雲仙の裏裾に広がる。
大木場名を見つめながら 
250年の時を 刻んでいる。


湯島・郷土歴史研究家
供養塔(墓)・第一発見者・宮崎常治先生・
森 秀人氏・渡辺隆雄氏
他に 農事歴史研究家・緒方和彦氏等の
合同研究は 今始まったばかりで
後日の研究・探求成果は
当・ブログにて 発表といたします。

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Posted by 湯島太郎 at 04:20Comments(1)昔・歴史

2014年09月04日

湯島の歴史と織田信長のと天草四郎と最後の将軍徳川慶喜


もしも なんて 通常ではあまり 
あまり使いたくないが
歴史には もしもが 付きもので
全ての歴史の 真実は この”もしも”から
発見され 追求されそうな 気がしてる。
もしも とは思ってもいないが
天草四郎どんが 
豊臣秀頼殿の 第四子あったとすれば
その母親 淀(茶々)殿は 浅井長政の長女で 
織田信長の妹 絶世の美女・お市殿の子女であり
その妹・江殿は 江戸二代将軍秀忠殿の 正室なり
その後 家光殿 家綱殿 綱吉殿と 連なり
最後の将軍慶喜殿に至るまで 
現代経済の祖とも言われる 織田信長どの血筋が
現代までに 脈々と流れていないとは言えない。
湯島も 我が祖父の その祖父 くらいの
前島民が 歴史の渦中を 湯島を 舞台に
駆け足で かけ抜けた過去の 
足跡を感じないではいれない


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Posted by 湯島太郎 at 09:50Comments(0)昔・歴史

2014年08月29日

湯島・肥後にわか・もっこす座旗揚げ講演


来る9月13日には 肥後にわか もっこす座の
湯島・出張慰問で 旗揚げ講演だそうで
世話人理事長の 森秀人君も懸命で
それでも 30万くらいの費用がかかるそうで
寄付を募っている。
いつの時代も お金が 一番の問題で
それに 島起こしや 地域起こしは
労力と ストレスが付きもので
人道的には 改革や 革命の基礎に 似て
どこか 異端児扱いされ 正統性も
何も あったものではないが
時と 時代と 環境が 正統性の実証を
預かることになる。
私も 日頃先輩風 吹かせる手前と
故郷湯島を愛し 永遠に引き継がれながら
ストップ・ザ・限界集落を期して
身にあった寄付を したいと思っている。
終了後は 寄付行為の人達の名前を
連ねた報告板でも 然るべき場所に
掲示しては その貢献を称えて欲しいと 
頼んでおいた。

送金場所
   名義      森 秀人
金融機関   熊本銀行
            水前寺支店  口座番号 3050790
 現金書留 〒860-0842
熊本市中央区南千反畑町12-36-302
            森 秀人 行
上記に 心ある人は お願いしたいとのことです。
                     よろしく 


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Posted by 湯島太郎 at 11:40Comments(0)湯島世相

2014年08月24日

火事と人の心と天からの”喝”

2014年8月20日(水)10:00
RKKニュース

昨夜、阿蘇郡西原村の
リサイクルショップから火が出て、
建物が半焼しました。けが人はいませんでした。
警察によりますと昨日午後7時半ごろ
西原村布田で「リサイクルショップが燃えている」と
向かいのガソリンスタンドの店員から
消防に通報がありました。
火はおよそ2時間後に消えましたが、
この火事で「くまもとリサイクル市場第2空港店」の
木造鉄骨3階建ての
店舗延べおよそ500平方メートルが焼けました。
昨日、この店は午後6時ごろに閉店し火が
出たときは店内には
誰もおらずけが人などはいませんでした。
警察はけさから実況見分を行い、
火事の原因を調べています。(RKK)

誠に 恥ずかしい話だが 
我が店舗が 火事になってしまった。
出火原因は 当初 カミナリとか 漏電とか 
それとも 両方とか
言われていたんだが 未だに解らず
どっちにしても 不注意で
消防法の問題もあり 施工も 考えるところである。
何としても 再開したいんだが
その為には 建築法の 規則に則った
施工が大切で 何としても クリアーしなくてはと
思っている。

あらためて 驚いているのは
こんな しがないおっさんにも 心配してくれる
人が居たことに 感謝している。
今日まで 8月23日までに
熊本市内だけで 見舞い電話が300人を超えた。
自慢にも 何にもならないが
ふと 大丈夫かな?の ”チョイ電”が
こんなにあるとは思ってなかった。
なんとも有難く ”チョイ電”でも 人の心の中に
残っていた事が嬉しい。

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Posted by 湯島太郎 at 09:02Comments(0)社会悪

2014年08月16日

ショロサン船(精霊船)とstop・the・限界集落島




必死の思いで 故郷を思う 後輩たちに
何とか 力に成りたいが 思うようにもいかず
今日も 湯島から 相談に帰ってくる。
小規模移住の 申し込みがあり
借家を 探すんだが 思うように無く
あれだけの 空家がありながらと・・ジレンマで
何でも 湯島の環境もよく 
畑仕事 家畜(山羊)の飼育で 
自閉症の 子供達を治療するらしい
多に 結構で 私もお会いしたが
修行の武道を 含めての教育らしい
是非とも 入口を作ってあげたいとおもっている。
今日当たりから 湯島沖に 島原の盆精霊流しの
ショロサン船(精霊船)が 流れてくる。

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2014年08月13日

”挑め”大西県議・政令指定都市元期に!


任期満了に伴う熊本市長選(11月2日告示、16日投開票)に、
熊本県議の大西一史氏(46)が12日、立候補することを表明した。
2012年の政令市移行後、初の市長選となる。
現職の幸山政史氏(49)は4選不出馬を決めており、
立候補表明は大西氏が初めて。

大西氏は県議5期目。自民党所属だったが、
02年市長選で自民の対立候補だった幸山氏を支援し、
自民から勧告を受けて離党した。
今回、政党に支援を求めるかについて「白紙」としている。

弟分みたいな 青年政治家が 
新しい都市作りに 参加する。
こう成っては 大きな声では 言いたくないが
2分の1は 天草の血が流れている。
ただ 先の親父県議は もっと 天草の血は濃い
大西家は 代々が 江戸幕直轄の 出先機関で
島守から 福良木の徳川幕府の槍の柄木・
歌舞伎の拍子木なる森林守で 
渡航・南蛮船の 検閲遠見番等 
天草島は 天領の地であったが 
さしずめ 今の 国の出先機関で 
当時の 実務大名と 言ったところだ。
思えば 江戸の血筋で 天草の血が流れ
母親さんは 生粋の熊本育ちで
本人も 熊本生まれの 熊本育ちだ。
故郷は 日本ですと言える 
青年が 政令指定都市に挑戦する。
まさに マラソンのキャッチフレーズ
”挑め”である。

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Posted by 湯島太郎 at 16:40Comments(0)政治と同胞

2014年08月02日

女房殿の母の50年忌と“湯島村”意識の存続



最近では 祖母の年忌だ 親類の と
この湯島の 年忌に よく 出席するようになった
有難いことに 知らなかった 親戚の輪郭や
昔からの 村の付き合いや
最近の 自分の位置を含めてての 親族が
見えてくる。 先ずは 時々 集まって
それを 確かめ合う機会なんてありもしないし
精々が 町場 暮らしは あっても 祝い事は兄弟に始まり
甥姪の 結婚式 後は 兄弟の葬式くらいである。
しかし 湯島の 慶事弔辞・その他の会事は
親族・近いお付き合い
昔から代を 超えてのお付き合い等の 
時々の 確かめ合いで 今流に言えば 
多少 不自然で
無理もないではないが ”絆”の 
確認ではないのかとも思えて
持ち寄り精神の 合理的”村”そのものである。
最近では 少々の事は 跳ね除けて 出席する。


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Posted by 湯島太郎 at 16:08Comments(0)家族・歴史・世相

2014年07月24日

湯島癒しの海と浜木綿の香




この白浜の 澄んだ海の 浅瀬と
そこから 深海に伝う 湯島ブルーは
人の心を癒す
ぎとぎとな 世渡りで 心荒んだ者には
特別な 素晴らしさに見えてくる。
何度も 何度も 悪は 悪なりに挫折の
繰り返しで 
癒されるとか 癒されないとか 
気持ちの 問題なんて 考えたこともなく
どこかで 独り善がりで
自分だけの 世界がありそうで
そこら辺から 食み出される度に
逃げ 帰って来ては 然も 心の調整を
計るごとく 振る舞いをしながら
強かに 再びも 三度も 貪欲な思いで
善いも 悪いもなく
挑戦した証に 金を得て 名を成す事を望み
又 ぎとぎとの 世界へ出ていく
幾度も 繰り返したが 残ったのは
人から 非難される事ばかりで
それでも 生きれたのは 
やっぱり 度々に 求めもしなかった
この癒しの海と 浜と 湯島ブルーと 
南海の貴婦人 
浜木綿の香りだったのかも・・・・・・・・・・


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Posted by 湯島太郎 at 15:21Comments(0)自然・風景・九州

2014年07月20日

熊本の浜木綿と湯島の自然浜木綿



浜木綿が 咲き乱れる 湯島の磯伝いを
見たいと思う。
熊本に 20本ばかりを 植えつけてから
5・6年は 経ったんだが
今年も あまり 元気のなさそうな 白い花が
南海の貴婦人とまでは サラサラ届かず
ちょっと 遠慮がちに 短めに咲いた。
湯島の 浜木綿の花を 見続けたら
この花草には 潮風が似合いで
湯島の花弁は 白濃く 純白で美しい
毎年 期待して 花を待つんだが・・・・・・・
やっぱり 一度帰って。自然花を見たい。

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Posted by 湯島太郎 at 09:34Comments(0)自然・風景・九州

2014年07月19日

”ウニめしとんと”島猫騒動”と海の駅・島の駅ヘの期待




キャット・ゴード(猫神様)の 恩恵か
猫・目当ての 観光客が多くなったと言う
もともと えび・鯛式の 猫使いの観光集客を
好まない 湯島太郎は 多少 不機嫌だが
交通の便利さで 日帰り客が多い
結局 渡海船の 船賃くらいが
湯島の収益で 島おこしには程遠い
そうなれば 犬神様は どうだとも
言いたくなる。
動物や 神様頼りでは 今一つであろう。
新発見は 今初夏から ”うに飯どん屋”
できたと言うから 試食しなくては思っている。
”うに飯”は ご丁寧に 御上品 静々と食べるより
少し 代金も 量も 多くなるかも知れないが
漁師めし風に 大胆に ガツガツと
味わい喰らい 堪能 出来れば 
海の味を 一手に喰らう ”にわか漁師”
感は 満喫できよう。

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Posted by 湯島太郎 at 11:22Comments(0)湯島世相

2014年07月13日

パッションフルーツの夢の初生れとオブザーバー


カントリー・パパさん(森秀人君)の
日課は 月・火・水・木が 熊本市内で
金・土・日が 湯島の百姓勤務で 多忙 この上ない。
”暇人の道楽”等と 冷やかに 言われながらも
いっこうに気にしない さすが 大物の器である。
先輩オブザーバーに等と 頼んで来るが
発言権無し 発議権無し 決議権無しの
特別出席者の意味だろうか?
結構 自分の腹は 決まっていてその枠の中を 
出たり入ったりで 
周りの気配・気持ちを 探りながらの 前進で
抜かりはない。
パッションフルーツとやらが 実を付けた。
嬉しくてしようがない。 女房殿が
ストアーに あるから買ってくると言うが 断っている。
後輩どもの 汗と涙の 初生れを 試食したくて
我慢している。

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Posted by 湯島太郎 at 19:53Comments(0)先輩・後輩

2014年07月10日

ストップ・ザ・限界集落・一般社団法人・湯島余暇労会

(湯島太郎の商いブログ)
http://blog.goo.ne.jp/ksrk3849163
・(リサイクルの風)

http://ksrk2330588.otemo-yan.net/
・(リサイクルおっさん)


http://blog.goo.ne.jp/ksrk2330588
・(リサイクルおじさんと湯島)


パンパン ご遠慮なく 上列を クリックしてください 
アンテーィーク&リサイクル商品の
湯・遊・悠・YOU・リサイクルランドです。


これが 現在立ち上がった。
”ストップ・ザ・限界集落”
 一般・社団法人・湯島余暇労会 

実践農業部隊の ”パッションフルーツの花である。
代表会長 森 秀人の 自慢の農事業で
その内に 一人一本の 植樹主を作り
その実りの時期には レジヤー含めて 
湯島で 収穫祭を行うらしい。
又 来島出来なかった人には 
収穫品と 農漁土産品を 送る予定だそうだ。
小生も 傍観的では行けないと
有るだけの 猫の額状の畑を 耕していただいた。
何でも 不在の家の管理から
畑・山・お墓の管理まで 等社団の事業範囲らしい
詳しくは後日 回状・ブログ・ホームページで
発表するらしい。
夢のある話だが 夢をユメユメ壊す事なかれだ。
ともあれ 口汚い小生には パッションフルーツも
9月頃には 試食できそうだ。何よりも楽しみである。


どがんも こがんも
湯島ん たびの木の下が 夏ッアー一番ばなァー
なんのーゥ パチンコんなんのて 誰がするかな
こ~ん 温っかて
なんてなァー 温っかけん パチンコ屋が 
涼しかてなァー そるも そがんも あっとなァー
んなら 江樋戸まで さでいこかい。


全くの ベタ凪である
漁師の 言葉で 潮 の流れ止りを ”どろみ”言う。
なんとなく 言えてると思う。
そんな 波止ん中の状態である。

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Posted by 湯島太郎 at 10:04Comments(0)先輩・後輩